世にも奇妙な怖い童謡8選〜背筋が凍る童謡の歌詞〜

世にも奇妙な怖い童謡8選〜背筋が凍る童謡の歌詞〜
KKBOX編集室
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多くの人が幼少期頃から親しみ、古くから歌い継がれる童謡。いまでもすぐに口ずさめる人が多いはずです。しかし、幼い頃何気なく口にしていた童謡が、背筋が凍るくらい怖い歌詞で構成されているものがあるってご存知でしょうか。本記事では誰もが知っている有名な童謡の解釈と、そこから派生した都市伝説を8つご紹介します。

はないちもんめ

食べることもままならない時代に、貧しい人たちは家族の食べる人数を減らすために「口減らし」を行い、お金を確保するために自分の子供たちを人買いに渡してしまうこともあったとか。「もんめ」は貨幣として用いる銀の重量を表す単位であったそうで、花を買う僅かな金額ほどで子供たちが売られていたといいます。また「花」とは女の子を表す言葉とも言われているので、買われていく場所は「遊郭(売春婦が集う場所)」だったという説があります。

かってうれしい はないちもんめ(子供を安く買えて嬉しい)

まけてくやしい はないちもんめ(子供を安く値切られて悔しい)

子供たちが歌う無邪気なあそび歌には、こんな残酷な意味が込められていたとは、こうして背景を想像するとゾクっとしますよね。「あそび歌」なので、最後まで「欲しい」と呼ばれなかった子供がいたと想像すると実に残酷な歌に聞こえます。こうした影響からか、近頃「はないちもんめ」はしばしば歌詞を変えて歌われることも少なくないとか。

かごめかごめ

誰もが子供の頃に歌って遊んだ「かごめかごめ」。幼心にこの歌に不思議な違和感を持った人も多いのではないでしょうか。この歌の解釈には諸説あるようですが、そのうちのゾッとする一説を紹介します。

かごめかごめ(囲め囲め)

かごのなかの とりは(カゴの中の鳥居は)”いついつ でやる(いつ出ら れるのだろうか)

よあけのばんに(夜明けの晩に)

つるとかめと すべった(鶴と亀と滑った)

うしろのしょうめん だあれ(後ろの正面は 誰だろう)

これは、籠で封じ込めようとしたのは「鳥」ではなく、邪悪な魂や祟りを恐れて、鎮魂させるために祀った鳥居だという説。邪悪なものが現れたら、夜なのに空は真っ赤に燃え上がり、生物の中で一番安定しているとされる鶴や亀さえも転んでしまい、自分の後ろ姿が見えてしまうぐらいの天変地異がおきてしまう。だからその籠を絶対に開けてはいけないと警告している歌なのだそうです。そのことを後世まで伝承しようとして、あそび歌に託したとのだとか。


この解釈に近い場所として東京都千代田区にある「平将門の首塚」があります。そこに将門の首が本当に祀られているのかは伝承の域を超えませんが、今後もこの場所が安寧でありますように。

あめふり

雨の季節におなじみ「あめふり」も、歌詞をちゃんと読んでみると悲しい光景が浮かび上がる歌です。1番2番は仲の良い親子の微笑ましい雨の日の光景を歌っていますが、3番の歌詞で事態は急転します。

あらあら あのこは ずぶぬれだ やなぎの ねかたで ないている

ピッチピッチ チャプチャプ ランランラン

子供が傘もささずに泣いているのにメロディは軽やかに続いていきます。ここからは違う親子の話に変わるのです。2番の歌詞まで登場していた母親が亡くなり(あるいはいなくなり)、その娘が傘もささずに泣いているのです。そんな姿を目にしてもこの親子はどこか楽しげです。そして4番5番の歌詞では親子がとった行動を歌っています。

かあさん ぼくのを かしましょか きみきみ このかさ さしたまえ

ピッチピッチ チャプチャプ ランランラン

ぼくなら いいんだ かあさんの おおきなじゃのめに はいってく

ピッチピッチ チャプチャプ ランランラン

一見親切な対応をしている「ぼく」ですが、「このかさ さしたまえ」というのは上から目線ですよね。そして、「ぼく」は母親の傘に入って、楽しげに帰っていきます。どこか「ぼく」は優越感に浸っているのではとさえ思える行動です。

傘もささず雨に濡れた女の子は、このあと不慮の事故に遭い、それから「あめふり」には怨念が宿っていったのだそうです。都市伝説ですが、「あめふり」を最後まで歌うと怪奇現象が起きるといわれています。勇気のある人は、雨の夜の帰路で口ずさんでみてはどうでしょうか。目の前のヤナギの木の下で女の子が泣いているかもしれません。

サッちゃん

都市伝説化した童謡の中で最も怖いとされるのが「サッちゃん」。「サッちゃん」は小さな女の子への温かな眼差しを感じる歌ですが、「サッちゃん」にはとても怖い4番の歌詞が存在しているという説があります。

サッちゃんはね 線路で足を なくしたよ

だから お前の 足を もらいに行くんだよ

今夜だよ サッちゃん

これは北海道で事故で14歳という若さで命を失った桐谷佐知子さんの同級生が、事故を面白がって替え歌にして歌ったもので、後にこの同級生は、足のない死体となって発見されたと言われています。
いまでは「サッちゃん」の歌詞は11番まで存在しているとも言われていますが、その歌詞を読んでしまった人に不運なことが起きてしまうそうなので、決してその詳細は検索しないでくださいね。

てるてるぼうず


子どもの頃、運動会や遠足の前日にてるてる坊主を吊るした経験が誰にもあるはず。明日どうしても晴れてほしいというときに、大人も子どももてるてる坊主に願いを込めたものでした。そんなてるてる坊主に晴れを託すようになった理由は、カットされたという幻の3番の歌詞にあると言われています。

てるてるぼうず てるぼうず あした天気にしておくれ 
それでも曇って泣いてたら そなたの首をチョンと切るぞ

最後に ”首をチョンと切るぞ” という恐ろしい歌詞が登場しますが、その由来は日本に伝わるある伝説だと言われています。昔、降り続く雨に人々が困っているところへ、お経を唱えて雨を止めることができる坊主がやってきたと言います。しかし、その坊主に雨を止ませるお経を唱えさせても、翌日になっても雨は止まず、坊主は罰として首をはねられてしまいました。その首を白い布に包んで吊るすと翌日から晴れ、てるてる坊主の風習につながった、という言い伝えがあります。身の毛もよだつような恐ろしい話ですが、「てるてる坊主」の発祥の一つの説として語り継がれています。

明日絶対に晴れてほしい!と願う子どもたちの無邪気な気持ちからは、想像だにしない恐ろしい背景ですね……。この説を信じてしまうと、てるてる坊主を吊るそうとは積極的に思えないかもしれません。信じるか信じないかはあなた次第です。

通りゃんせ


江戸時代に生まれた童謡の「通りゃんせ」。「親」になった子供が二人で手を繋いで橋を作り、そこを「子」役の子供たちがくぐるこの遊びは、子供の頃に遊んだり、横断歩道のメロディで耳にしたりと、私たちにも馴染みのある人も少なくないはず身近な歌なのではないでしょうか。この歌もただ、一部では意味深な歌詞やメロディが怖いと言われているようです。それもそのはず、。実は「通りゃんせ」は生贄の歌だったという説があります。

ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります

行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも通りゃんせ 通りゃんせ

歌詞を簡単に意訳してみるすると、7歳になった子を連れた母親が、神社へ入る細い道の手前にある門番に進むことを止められているシーンですさまを歌っているようです。母と子供はなぜ神社に来たのでしょうか。7歳と聞くと、日本の風習の一つである七五三が浮かびますが、この歌では違うようです。

昔は食料不足や自然災害で、大人が生きていくだけで精一杯でした。そんな時代、子供を奉公に出したり、身売りしたりするということが貧しい農家においてでは当たり前にあったそう。「通りゃんせ」で夕方に神社を訪れ「帰りはこわい」と歌われている理由は、子供は口減らし、つまりは生贄として神社に連れられてきたと言われていますいう説からです。昔は子供は七つまでは神の子といわれ、まだ人間ではないとされていましたと言います。現代今の日本では考えられない考え方ですませんが、こうした口減らしも少なくなかったとか。

行きの道は二人で手をつなげるけれど、帰りは一人で帰ってこなければならない。都市伝説に近い説ではありますが、童謡の聞こえ方も変わってきます。そんなお母さんの心情を想像するだけで胸が締め付けられて、気軽には歌えなくなってしまいますね。

おちゃらかほい


「せっせっせーの よいよいよい」で有名なじゃんけん遊びの「おちゃらかほい」。この歌も、実は遊女(今でいう風俗嬢)の歌といわれており、貧困のために身売りされた女性たちの生活の一場面を描写しているという説があるのでります。

せっせっせーの よいよいよい(今晩もせっせ、せっせと働きなさい 宵はまだはじまったばかりだよ)
おちゃらか おちゃらか おちゃらか ほい(ほら、おちゃらかしにお客がやってきたよ)
おちゃらか 勝ったよ(俺はこの女を買ったよ)

この歌の主人公は、貧乏だったため親に売られたり、人身売買されて遊女となってしまった女性。早くお金を稼いで自由になりたい一心から、せっせと働かなければなりませんでした。歌詞を紐解くと、こんな解釈がもできあると言います。
品定めする旦那に「選んでもらおう」と、必死にアピールする遊女たち。旦那衆は、余興がわりに遊女を二人選んで競わせ、それを楽しそうに眺めているのです。「今夜は勝った方を買ってやろう」。生きていくためには背に腹は変えられないという残酷な現実と旦那衆の遊び心。そんな歌の背景を思い浮かべると、なんともやるせない気持ちになります。無邪気な子供たちの遊び歌は、こうした残酷とも言える昔の情景を現代に伝えていると言えそうですね。

いろはにほへと

最後は番外編として、意外な意味が隠された『いろは歌」をご紹介。に紹介するのは、「いろはにほへと ちりぬるを」でお馴染みのあのいろは歌。この『いろは歌』も、本当の意味を知ると聞こえ方が変わってくる童謡の一つです。その歌詞を見てみましょう。

いろはにほへと ちりぬるを(色は匂へど散りぬるを)
わかよたれそ つねならむ(我が世誰そ 常ならぬ)
うゐのおくやま けふこえて(有為の奥山 今日超えて)
あさきゆめみし ゑひもせす(浅き夢見じ 酔ひもせず)

平安時代に起源を持つと言われる「いろは歌」は、仏教の根本思想でもある「雪山偈(せっせんげ)」で説かれる悟りを表していると言われています。「雪山偈」は、諸行無常(しょぎょうむじょう)、是生滅法(ぜしょうめっぽう)、生滅滅已(しょうめつめつい)、寂滅為楽(じゃくめついらく)の4つの韻文の呼称です。聞き慣れない言葉だと思いますが、要約すると「この世は全て無常であり、これは生滅の法則によるものである。生と死のない涅槃(ねはん)の境地に至ることで、真の大楽が得られる」というもの。まさに、人生そのものを表した日本人らしい教えだと言えるでしょう。親しみやすいながら、人生も学べる童謡だったのです。
47文字の平仮名を使い、全ての文字が重複しないように作られているこの「いろは歌」は、江戸時代以降、仮名を学ぶ手本としても親しまれてきました。幼い頃から耳にしていた歌に、日本人独特の侘び寂びのある人生観が込められていたことは驚く人も多いのではないでしょうか。大人になった今、改めて聞き返してみると、また違った趣を感じるかもしれませんね。

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