東京ドームを満員にする76歳のミュージシャンって誰? ーポール・マッカートニー特集ー

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黒田 隆憲

今年9月、前作『ニュー』から5年ぶりとなるニュー・アルバム『エジプト・ステーション』をリリースしたポール・マッカートニー。10月から11月にかけては東京・名古屋でのドーム・ツアーも控えており、さらに両国国技館での追加公演も決定するなど、ファンにとってはこの上ない朗報が、次から次へと舞い込んでいる。

出典元:You Tube(PAUL McCARTNEY)

ポールがソロ名義で初来日を果たしたのは1990年で、今回が7回目。その全ての会場がドームで、どの公演も軒並み大盛況だった。今年の6月18日で76歳を迎えた彼が、ビートルズ時代から振り返れば半世紀以上も愛され続けているのは一体なぜだろう。そもそもポールってどんな人? 今回は、そんな「今さら聞けないポールの魅力」について、ざっと振り返ってみたい。


アヴァンギャルドな表現はジョン・レノンより先だった!

ポール・マッカートニーは、英国リヴァプール出身の4人組ロックバンド、ビートルズのメンバー。リーダーのジョン・レノンに誘われ、メンバー・チェンジなど紆余曲折を経てベース&ヴォーカルを担当することとなる。父親がセミプロ級のジャズ・ミュージシャンだったこともあり、メンバーの中で最も音楽的な素養があった彼は、デビュー以降次々と名曲を生み出し、ビートルズを「ただの騒々しいアイドル・バンド」から、「才能溢れるアーティスト集団」へと牽引していった。

ビートルズの楽曲の多くは「レノン=マッカートニー」名義、つまりジョンとポールの共作となっている。初期の曲は、それこそ2人で膝を突き合わせて作っていたのだが、中期以降は各自バラバラに作って持ち寄るようになっていく。

稀代のメロディメイカーであるポールは、ロックンロールにクラシックやジャズなど様々な要素を加えて「イエスタデイ」や「レット・イット・ビー」「ヘイ・ジュード」など、学校の教科書にも載るような楽曲を書いている。そのため、ビートルズの「ポップ」な部分はポールが、「ロック」な部分はジョンが担当している……などと言われることが多い。が、あながちそうとも言い切れない。ジョンがオノ・ヨーコと知り合い現代アートへと深く傾倒していくより前から、ポールはアヴァンギャルドな表現に関心を寄せており、例えば1967年にリリースされたコンセプト・アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』や、ミュージック・ヴィデオの先駆けといわれた同年のTV映画『マジカル・ミステリー・ツアー』のような、実験的かつ前衛的な作品の多くはポール主導で作られているのだ。

出典元:YouTube(EMImusicGermany)

ベースだけでなくギターやピアノ、ドラムもこなすマルチ・プレイヤーで、1968年の『ザ・ビートルズ(通称“ホワイト・アルバム”)』に収録された「ワイルド・ハニー・パイ」や「ブラックバード」、「ホワイ・ドント・ウィ・ドゥ・イット・イン・ザ・ロード」といった楽曲は、たった1人で演奏し仕上げてしまう。そうしたワンマンプレイが次第に目立つようになり(本人は“良かれ”と思ってしていたことなのだが……)、メンバーから疎まれる存在になっていく。やがて活動方針や音楽性の違いなども浮き彫りになり、1970年にビートルズは解散した。



ビートルズ解散後の軌跡

解散にまつわるゴタゴタで、しばらくスコットランドの自宅農場に引きこもっていたポールだが、当時の妻リンダに支えられてソロ活動を開始。「ベッドルーム・ミュージック」の先駆けとなったファースト『マッカートニー』を1970年にリリースする。翌年“ポール&リンダ・マッカートニー”名義で傑作『ラム』を作り上げると、そのレコーディング・メンバーだったデニー・シーウェルに、元ムーディー・ブルースのデニー・レイン、そしてリンダで新バンド、ウィングスを結成。イギリスの大学にアポなしで向かい、ポール自ら大学と交渉しながらドサ回りのようなツアーで活動を始めたのだった。

ウィングスはメンバー・チェンジを繰り返しながらも、サード・アルバム『バンド・オン・ザ・ラン』(1973年)でグラミー賞を受賞したり、ライブ盤『ウイングス・オーヴァー・アメリカ』で全米1位に輝いたり、名実ともに大成功を収める。1980年には、ビートルズ以来となる待望の来日ツアーも開催される予定だった。ところが、大麻を日本に持ち込んだ容疑ポールは検挙〜拘留され、ツアーは中止に。しかもこの年の12月8日には、ジョン・レノンが射殺されるという最悪の事件が起きてしまい、ショックを受けたポールは音楽活動を一時休止する事態となる。ウィングスはそのまま事実上の解散を迎えた。

翌年、音楽活動を再開したポールは、マイケル・ジャクソンやスティーヴィー・ワンダーをゲストに迎えたアルバム『タッグ・オブ・ウォー』を発表。以降はずっとソロ名義で、最愛の妻リンダや盟友ジョージ・ハリスンの死を乗り越えながら、エルヴィス・コステロやナイジェル・ゴドリッチ、マーク・ロンソン、グレッグ・カースティンなどその時の旬なアーティスト〜プロデューサーとタッグを組んで、精力的に作品を作り続けてきた。また、デイヴ・グロールやカニエ・ウェストらとのコラボ〜共演が話題になったのも記憶に新しい。それらはきっと、ジョン・レノンという唯一無二の「相棒」を失った彼の、新たなパートナー探しの旅とも言えるかも知れない。


いまなお伝説を作り続けるポール・マッカートニー

ポール(ビートルズ、ウィングス)に影響を受けたアーティストは枚挙に暇がない。中でも最も成功したバンドはオアシスだろう。何しろノエル・ギャラガーは、「俺はただビートルズになりたいだけだ」という名言まで残している。最近ではレモン・ツイッグスやタイ・セガール、ホイットニーらの楽曲に「ポールの遺伝子」が受け継がれているのを感じるし、日本では藤原さくらがフェイヴァリットに挙げるなど、若い世代にも確実に影響を与え続けている。

出典元:YouTube(PAUL McCARTNEY)

ポールがどれだけ「人間離れ」しているかは、ライブを見れば一目瞭然。2時間半を超える長丁場で彼は、一度も水分を口にせず(彼曰く、「ステージで水を飲むなんてカッコ悪いから」)、時折アイドルのようなおどけた仕草でオーディエンスを湧かせながら、およそ40曲を歌い切る。しかも、その全てが「神曲」なんて、一体他に誰が成し遂げられよう?

ポールの来日が決まるたび、「これが最後の来日」と囁かれている。そんなニュースがこの先何年も、何十年も(!)、ずっと繰り返されることを心から祈っている。

黒田 隆憲

黒田隆憲(ライター、カメラマン、DJ) 90年代後半にロックバンドCOKEBERRYでメジャー・デビュー。山下達郎の『サンデー・ソングブック』で紹介され話題に。ライターとしては、スタジオワークの経験を活かし、楽器や機材に精通した文章に定評がある。2013年には、世界で唯一の「マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン公認カメラマン」として世界各地で撮影をおこなった。主な共著に『シューゲイザー・ディスクガイド』、著著に『プライベート・スタジオ作曲術』『マイ・ブラッディ・ヴァレンタインこそはすべて』『メロディがひらめくとき』など。

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