枠にとらわれないUK発の超新星、 The1975

枠にとらわれないUK発の超新星、 The1975
鐵雄
鐵雄

「たまたま手にした本に1975という年が書かれていたんだ」とマシューは回想する。意味のない4桁の数字に見えたようだが、彼はそれを忘れることができなかったようだ。契約書にサインしたとき、マシューは大胆にもこれをバンド名にしようと提案。しかし、皆から反対されたという。「こんな名前じゃ成功しないってさ。でも、僕はそれをチャレンジとして捉えたんだ」。 周囲の反対をよそに、マシューは半ば強引に「The 1975」という不思議な名前で押し切った。さらに彼は、「1975」と右腕にタトゥーを入れ、「これで改名できなくなったぞ」と決意を固くしたという。 バンド自体が結成されたのが2002年のこと。それ以来、何度も名前を変えてきたが、2012年に「The 1975」に落ち着くと、そこから先は順風満帆。いくつかのヒット作も生まれた。やはりマシューの提案は正しかったと言えよう。さらに2013年9月には、アルバム『1975』が大ヒットを記録。オアシスやザ・スミスといったマンチェスター出身のバンドと同じ土俵に…。そう、彼らはスターになったのだ。 しかし、マシューはそれらの偉大なるバンドと自分たちは違うと強調する。「彼らは政治や社会問題に対して明確な態度をとっていたし、何よりもコミュニティに強い影響力を持っていたからね」とマシュー。さらに「もちろんリスペクトはしているけど、先輩たちの影響を受けてはいない」とストレートに発言。「The 1975は、マンチェスターというラベルにとらわれてはいない。むしろ、こういう地域的なレッテルは僕たちには無意味だ」と宣言した。 マッシューたちが影響を受けたのは、フィル・コリンズのタイムレスな名曲や、プリンスやディアンジェロなどのブラック・ミュージック。「あるメディアは僕らのことを“ギター&B”(つまりロックンロールなギターにR&Bを合わせたもの)と説明してくれた。なかなか面白い表現だね」 シングルの「Sex」や「Girls」「Chocolate」など、彼らのナンバーの多くはパーソナルで繊細な感情を表現している。これに対し、マシューは興味深いことを語った。「初めてのバンドには、個人の人生経験に基づいた表現がとても合っていると思う。僕が理想としてる曲は、ホイットニー・ヒューストンの「I Wanna Dance With Somebody」のキャッチーなメロディに、レナード・コーエンのような滋味深い歌詞を付けたものさ」 香港のClockenflapで行われたThe 1975のパフォーマンスを見た人は、その圧倒的な才能を思う存分、体験したことだろう。おそらく、どんなロックフェスにおいても、彼らのステージが一番に違いない。 また、初めて香港に来たというマシューも、同じくこの都市に大きな衝撃を受けたという。「香港って、東京と同じように東西の文化がバランスよく融合している都市だと思っていたけど、来てみたら思った以上に西洋化が進んでいてビックリしたよ。生まれも育ちもずっと香港という白人のファンに出会ったんだけど、まったく広東語はできないってさ。きっと香港はとても自由で開放的だから、他国文化に対して寛容でいられるんだろうね」と彼は語った。 会場の隣にあるビクトリア・ハーバーの景色にも驚いたという。「ステージに上がって左を見たら、刺激的なライトアップで輝く高層ビルやヘリが見えたんだ。僕が今までの人生で見た中で一番きれいな景色だった。ここまで印象的な世界を作れるのは、ロンドンならダミアン・ハーストくらいだろうね」 マシューがステージ上で話した通り、ザ・1975は次回の訪港をとても楽しみにしている。彼いわく、「今後1年間のスケジュールはすでに決まってるよ。ツアーやテレビ番組、フェスの出演など、2014年12月まですでにアレンジされてる」とのこと。今後はアジア市場を重点的に攻める予定で、日本やフィリピン、中国などを訪問するという。 アジアにいる皆さん、彼らの次なる来襲を受ける用意はできていますか!?

鐵雄
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