中島美嘉「私にしか歌えない歌がある」

中島美嘉「私にしか歌えない歌がある」
松浦靖恵
松浦靖恵

デビュー曲から最新シングル曲までの全てのシングル曲を収録したベスト・アルバム『DEARS』『TEARS』を11月5日にリリースした中島美嘉。この2枚のベストは、彼女の約13年間の軌跡が鮮やかに刻まれた作品であると同時に、ここに収録された40曲は、確かに中島美嘉にしか歌うことができなかったであろう楽曲、詞世界が確実にそこにあるのだということを再確認できるベストだろう。 約10年ぶりにリリースしたベスト・アルバム『DEARS』『TEARS』の初回盤ジャケットには、18歳の中島美嘉(『DEARS』)と、31歳の中島美嘉(『TEARS』)が、同じアングルで写っている。18歳の彼女の表情には、まだほんの少し幼さが残っているけれど、その眼差しには何者も立ち入ることのできない頑なさ、その瞬間を捉えて離さない力強さを持っている。そして、13年の年月を経て、同じアングルで撮影された写真に写る彼女は、18歳の頃の面影を残しながらも、たおやかな強さを纏ったまっすぐな眼差しがとても印象的だ。 2001年にシングル「STARS」でデビューし、瞬く間に注目を浴びることとなった中島美嘉は、「その実感がないままやっていたような気がします。とにかく必死でした」と振り返ってくれたが、「私はできるだけ“慣れる”ことはしたくないし、性格上、追い込まれないとやらないから、前もって準備をしておくよりも、その時々に来たものに集中して、そのつど消化していく方が楽しい。私はずっとそうしてきた気がします」と、言った。 たとえば、取材で彼女が教えてくれたデビュー当時のエピソード。 「かなり早い段階から、歌入れする時はブースの中が見えないようにカーテンを閉めるようになりました。スタッフが話している姿を見てしまうと、今の歌はダメだったのかなって迷いが出てくるので、ある時からは(スタッフの呼びかけにも)返事もしなくなりましたね(笑)。ディレクターは、私が返事をしなくなったら集中しているんだと思ってくれているみたいです」 「スタジオでは誰も私の歌っている姿を見ていないので、ホントに私が歌っているのかどうかもわからない」と、そんな冗談を言って笑ったが、デビューしたばかりの頃は戸惑うことも多かったそんな環境の中でさえ、常に自分の判断を信じて、彼女は事あるごとに自分に合ったやり方を見つけ、それらを貫いてきた人なのだろう。 今回の2枚のベストは、「明日のために流す涙」盤の『DEARS』、 「誰かのために流す涙」盤の『TEARS』と、それぞれのテーマに沿った楽曲が20曲ずつ収録されているが、中でも「GLAMOROUS SKY」「一番綺麗な私を」「僕が死のうと思ったのは」は、中島美嘉という歌い手に大きな転機を与えてくれた曲になったようだ。 「もともと私はロックを聴くのが好きだったから、自分でもそういう曲を歌いたいと思っていて。バラードのイメージを強く持たれていた時期に、「GLAMOROUS SKY」を歌うことができて、とても嬉しかったですね。「一番綺麗な私を」あたりから、頂く曲や歌詞の内容がどんどん重くなってきたように思います。それは、私だったら平気だと、みなさんが信じてくれているからなのかな、と。とてもインパクトのある曲ですけど、私はそういう曲を歌っていいんだと、気持ちがとても楽になった。それまではどこかしら遠慮していた部分があったので、これからは遠慮しなくていいんだって思えた曲です。「僕が死のうと思ったのは」は、よくぞこの曲を私にくれたなって思いましたし、私にしか歌えないと思いました。最初、プロデューサーは中島美嘉がこの歌に対してどんな答えを出すんだろうと思っていたみたいですけど、私は即、歌いたいと返事をしました」 20代後半、「自分の肩書きは“表現者”なんだと考え直したら、すごく気が楽になった」という、中島美嘉。 「きっと、それまでは自分の肩書きが“歌手”“アーティスト”ということに、なにかしらの違和感をずっと感じていたんでしょうね。“表現者”なんて言うと、カッコよく聞こえちゃうんでしょうけど。私は自分の肩書きを“表現者”と勝手に決めたので、これから自由にやってやろうと思っている。特に、ライブは心して来てください。歳を重ねて丸くなったね、なんていわせないですよ(笑)」 自分が納得したもの、自分が決めたことに対しては、「何を言われても怖くない」と言い切った中島美嘉の眼差しは、表現者・中島美嘉として歌い続ける覚悟に満ち溢れていた。

松浦靖恵
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