『怖い絵』の次は『怖いクラシック』? 大ベストセラー作家が音楽に潜む「怖さ」を語る

『怖い絵』の次は『怖いクラシック』? 大ベストセラー作家が音楽に潜む「怖さ」を語る
阿部裕華
阿部裕華

世界の名画の「怖さ」をテーマした大ベストセラー美術解説書『怖い絵』シリーズ、ご存知の方も多いのではないでしょうか。2017年に開催された『怖い絵展』は、3時間待ちの日もあり総入場者数は68万人を超える大盛況でした。


出典元: YouTube(Internet Museum)

そんな『怖い絵』がクラシック音楽とコラボレーションを果たしたコンピレーションアルバム『怖いクラシック』が今年4月に発売されました。今回は『怖い絵』の著書であり『怖いクラシック』の監修にも携わった作家・ドイツ文学者の中野京子さんへインタビューを実施。前半は企画経緯や音楽の中に隠された「怖さ」、『怖いクラシック』の楽しみ方などのお話を、後半はアルバム収録楽曲の中から4曲のワンポイント知識の解説をお届けします。


『怖いクラシック』の成り立ち

ー『怖いクラシック』の企画経緯について教えてください。

中野:ユニバーサル・ミュージックの三好(会里香)さんから企画のご提案がありました。2017年開催の『怖い絵展』で、兵庫県立美術館にだけマックス・クリンガーの『死の島』(アルノルト・ベックリン原画によるモノクロの銅版画)を展示したんです。その時、音声ガイドではセルゲイ・ラフマニノフの交響詩『死の島』を流しました。



当時それをたまたま見聞きしていた三好さんが「西洋文化である絵画と音楽は相互作用を与え合っている。絵画と音楽の歴史的な繋がりを掘り下げるのは面白いのではないか」と感じてくださったそうで。ユニバーサル・ミュージック入社後にご提案いただいたことで実現に至りました。

ー企画の提案が来た時の率直なお気持ちは?

中野:そういった内容でCDになるという発想が今までなかったので、「なるほど!」と思いました。たしかに、ラフマニノフの『死の島』はクリンガーの『死の島』から、『怖いクラシック』に収録されているモーリス・ラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』はパラケルス工房の絵画『マルガリータ王女』からインスパイアされて作られています。以前から絵画と音楽に繋がりがあるとは思っていました。ただ、そういった繋がりが果たしてCDになるのかなと心配はありましたよね(笑)。


音楽の裏側にある「怖さ」とは

ー『怖いクラシック』は絵画と音楽の繋がりに加え、その裏側にある「怖さ」がテーマとなっています。クラシックに怖い要素があることは新しい発見でした。

中野:どんな芸術作品にもそういった側面はありますよね。ただ私は、音楽の方がより強烈に恐怖を感じられるのではないかと思っています。絵画の場合、一見美しいと感じていても実はよくよく見ると怖い要素が描かれている。目から入る情報で恐怖を感じます。一方、音楽は耳から入る情報で深層心理に響きます。

ホラー映画は音を消して観るとあまり怖くないという経験、ありませんか?視覚的な情報で恐怖を感じているのかと思いきや、音を消した途端に実は違う。

ーたしかにホラー映画で驚く時は、かなりの確率で大きな音や声が流れているかもしれません。

中野:『怖い絵展』の音声ガイドでも音から恐怖を煽る仕掛けを施しています。女優の吉田羊さんにナビゲーターをしていただいた際、基本的には淡々とした説明調でガイドをしていただきました。ただ、オーブリー・ビアズリーによる『サロメ』挿絵の一枚『踊り手の褒美』でだけ、オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』のセリフ「お前の口にくちづけしたよ」を流しました。吉田さんは舞台もやられていると伺ったので、ぜひ成りきってセリフを言ってほしいとお願いしたところ、鳥肌が立つほど恐ろしかった。それも音なんですよね。

絵画のように「ここが怖い」と言わなくても、音は聴いているだけで不安を覚えます。CDに収録したフランツ・シューベルトの戯曲『弦楽四重奏曲 第14番 ニ短調 D810《死と乙女》 ~第2楽章』は、聴いていると何となくどこで死神が出てきたか何となく分ります。



ーわざわざ「ここ!」と言わなくても理解できるということですね。

中野:「〇楽章の〇節です」と言わなくても気がつくのでは?クラシックになじみのない人や苦手意識のある人は一度聴くだけでは分らないかもしれませんが、繰り返し聴いていくと「ここだ!」と感じる部分が絶対にありますから。ですので、『怖いクラシック』でもあえて「ここが怖いです」と言及はしていません。きっと「なるほど」と理解できると思いますよ。


絵画と共通点のあるクラシックを選曲

ー『怖いクラシック』ではクラシック楽曲だけでなく、楽曲と共通点のある絵画を中野先生が選定されているとのこと。数あるクラシック楽曲と絵画の中からどのように選ばれていったのでしょうか?

中野:今回はまず絵画から決めました。そこから絵と何かしらの共通点や相応しさのあるクラシック楽曲を決めていった感じですね。また、『怖い絵』が好きで『怖いクラシック』も聴いてみようという方も多いと思ったので、できるだけ聴きなじみのある有名な楽曲を選ぼうと意識しました。

ーラヴェル『亡き王女のためのパヴァーヌ』とベラスケス工房『マルガリータ王女』のように絵から音楽へインスパイアされた楽曲だけでなく、絵画のテーマや意味と共通点がある楽曲も選んでいるんですね。



中野:そうですね。それこそ『死と乙女』は同じテーマの絵画が中世から延々と描かれてきました。その中から選んだエゴン・シーレの『死と乙女』は自分自身を死神として描き、これから捨てようとする愛人・ヴァリを抱きしめているという絵です。

そして、この絵に対し選んだシューベルトの『死と乙女』は、若さゆえに死を拒否する乙女の命を死神が連れて行ってしまうことを音楽で表現しています。

ー共通のテーマでありながら違う表現になっている。

中野:選定した絵画と音楽がインスパイアし合っているわけでもなければ全く同じ意味を持つわけでもない。しかし、目で創作する画家と耳で創作する音楽家では「死と乙女」という同じテーマであってもこんなに違うと。そういう風に楽しんでほしいですね。

また、ほかにも「死と乙女」をテーマにした絵画はたくさんあります。『怖いクラシック』から全く異なる「死と乙女」の絵画へと興味を広げられたらいいなと思っています。

ー逆に絵画に合う音楽を自分の中で決めていくのも面白そうですね。

中野:同じ絵でも人によって別の音楽を思い浮かべるかもしれないから、それはそれで面白いかもしれないですね。


音楽も絵画も楽しんで

ークラシックを高嶺の花のように感じている人でも、学校やCMなどで知らず知らずのうちに聴いたことがある曲も多いと思います。『怖いクラシック』はそういったクラシック初心者の人たちがクラシックへ興味を持つ足がかりになりそうだと感じました。

中野:普段からクラシックを聴かないとハードルの高さを感じてしまうかもしれませんが、おそらく『怖いクラシック』に収録されているのは「どこかで聴いたことがあるかも…」という楽曲ばかりです。CD封入特典のブックレットを読んでいただければ、さらに曲の意味を深められるはずですので、少しずつ楽しさを感じていただけるのではないかと感じています。

また、音楽だけでなく絵画も楽しんでくれたらと思います。絵が好きな人はこれを機にクラシックへ興味を深め、クラシックが好きな人は絵へ興味を深める。相互で興味を持つ人が増えてくれたらいいなと。

ー今日お話をお伺いして、中野先生の解説とともに生の音(コンサート)が聴けたらもっと楽しめそうと思いました(笑)。

中野:CDを買っていただく人が多くいらっしゃれば、そういう機会もあるかもしれませんね(笑)。まずはCDをお手に取っていただき、ブックレットで解説を読みつつ音楽を楽しんでいただけたら嬉しいです。


中野さんにお聞きする『怖いクラシック』の楽しみ方

『怖いクラシック』に収録されている楽曲の中から4曲のワンポイント知識を中野先生に解説いただきました。CD封入特典ブックレットの解説には掲載されていない貴重なお話です。これを読めば、さらに『怖いクラシック』が面白くなるかも。


モーツァルト『歌劇《魔笛》 K.620 ~第2幕「地獄の復讐がこの胸にたぎる」(夜の女王のアリア)』/ヴィンターハルター『エリザベート皇后』

出典元:YouTube(Deutsche Grammophon – DG)

ほかの人はなかなか紐づけないのではと考えたモーツァルトと『魔笛』とヴィンターハルターの『エリザベート皇后』。私自身はとても関係していて面白い組み合わせです。

エリザベート女王の髪飾り「シシィ(=エリザベートの愛称)の星」は、ウィーンで上映されたモーツァルトのオペラ『魔笛』で「夜の女王のアリア」登場シーンに使われていたのを当時見ていたエリザベートがアイデアにしていたのです。

モーツァルトの考えた「夜の女王のアリア」は、いい女王であり母親であると思っていたらとんでもない人間だったと。最初と最後で印象が逆転するお話です。一方エリザベートは自分の義理の母親(姑)にすごく虐められていました。いくつかの共通点に面白さを感じ、組み合わせています。


ワーグナー『歌劇《ローエングリン》 ~第3幕「愛の祝福が見守る喜びの部屋へ」(婚礼の合唱)』/エイク『アルノルフィニ夫妻の肖像』

出典元:YouTube(Kendlingers K&K Philharmoniker)

多くのみなさんが知っているであろう有名な結婚行進曲には、メンデルスゾーンの曲とワーグナーの曲があります。メンデルスゾーンの『劇付随音楽《真夏の夜の夢》 作品61「結婚行進曲」』は明るい行進曲です。

一方、ワーグナーの『ローエングリン』は最後「別れと死」が表現されています。素性を明かしてはいけない契約のもと神に遣わされた白鳥の騎士が、人間の女性・エリザと結婚します。結婚初夜に彼女から素性を問いただされ明かしてしまった結果、騎士は人間界を去り彼女は命を落とすことになる。どことなく不気味さを秘めた曲なんです。

また、『アルノルフィニ夫妻の肖像』では「左手婚(社会的に対等でない者同士の結婚)」が描かれています。生涯ともにいられることは可能ですが、もし子どもが生まれても家を継がせることはできないので、子どもを自分の身分にはしないのです。

『アルノルフィニ夫妻の肖像』で描かれた身分違いの結婚は、『ローエングリン』の異類婚(白鳥と人間)に共通します。そして、どちらも明るい未来が見えないことから、『アルノルフィニ夫妻の肖像』に組み合わせる結婚行進曲はどうしたってワーグナーの『ローエングリン』になるのです。


ビゼー『歌劇《カルメン》 ~第2幕「皆さんに乾杯をお返し致します」(闘牛士の歌)』/ゴヤ『闘牛技』

出典元:YouTube(Royal Opera House)

『カルメン』に登場する闘牛士エスカミーリョが牛を仕留めた高揚感から「こうやって闘ったんだ!どんなもんだい!」と歌う場面があります。闘牛技を見たことなかった私は、ふんぞり返って自慢げに言っているのだろうと思いました。ところが実際に闘牛技を見に行った時、認識が覆されます。500キロもある真っ黒な闘牛がワーッと向かってくるのはまさに命がけ。死を意識したからこその高揚感だったのです。

そして、ゴヤは闘牛が大好きで闘牛の絵をいっぱい描いています。今回選んだのは十数枚組の一枚である『闘牛技』。高い棒を持って高跳びのように向かってくる闘牛を飛び越える、当時ゴヤが見ていた闘牛スタイルが描かれています。

そんな闘牛を実はゴヤも経験したことがあるそうで、よく自分で自慢していたと言います。死の意識によって高ぶった心を背景に、ゴヤの『闘牛技』も『カルメン』の闘牛士も生み出されたのだと納得しました。


プッチーニ『歌劇《蝶々夫人》 ~第2幕「ある晴れた日に」』/ドラクロワ『怒れるメディア』

出典元:YouTube(指揮者 吉田裕史 ボローニャ歌劇場フィルハーモニー 芸術監督)

「メディア」には本来、劇作家エウリピデスの『王女メディア』というオペラを使うのが一般的かもしれません。しかし、なぜ今回プッチーニの『蝶々夫人』を選んだのか、そこには大きな共通点があったからです。

メディアは自身の故郷を捨て、異国の男性イアソンと結婚します。ところがイアソンはメディアを裏切り別の女性と結婚をしてしまう。ギリシャ人のイアソンにとって異国の女性との結婚は内縁関係であり、無効にできると考えていたからでした。

『蝶々夫人』も同じ立場なんですよね。アメリカ人のピンカートンと結婚をした没落藩士令嬢の蝶々夫人、実は現地妻としか思われていませんでした。メディアも蝶々夫人も結ばれたと思っていたはずが、それは勘違いだった。

結婚相手に裏切られる仕打ちは共通点している一方で、その後の末路は異なります。蝶々夫人は子どもの将来のために自分の命を断つ。しかしメディアはイアソンへの復讐に駆り立てられ、我が子を手にかけてしまいます。その選択の違いもまた面白さを感じ、この二つを組み合わせました。

少しハードルが高く思えるクラシックですが、視点を変えて聴いたり 、感じたりすると身近なものに感じることができる。『怖いクラシック』はそんな新たな気づきをさせてくれるのではないでしょうか。



阿部裕華
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