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24 曲
なぜそこまで私たちは中森明菜に惹きつけれたたのでしょうか?
当時は意識することはありませんでしたが中森明菜のシングル作品はほぼマイナーコードの楽曲でした。中森明菜は「陰」というイメージがありますが、間違いなくそれが起因しているしています。そして私たちはマイナーコードの虜になっていたのかもしれません。
同時に中森明菜は様々なカウンターカルチャーを提示していたアーティストでした
デビューシングルを決めるにあたり母校であった中学生たちに自らアンケートをおこなっていたという逸話もあるほど、初期の頃から衣装やメイク、振り付け、そして楽曲づくりにおいて自分の意志を反映させたさ「中森明菜」をカタチ付けて行ったのは中森明菜自身なのかもしれません。
また作家陣に関しても初期の頃を除き、有名・無名を問わず起用します。初期には井上陽水の「飾りじゃないのよ涙は」が大ヒット。この時代、ヒットした楽曲の作家をしばらく起用し続ける歌手が多かった中で、中森明菜の常に新しいクリエーターとの出会いを追求し続けいています。
1988年には当時新進の作家であった森由里子・関根安里を起用した「TATOO」が大ヒット。タイトなミニスカートで大胆な振り付けで歌う姿に私たちは釘づけにされました。中森明菜自身としてはミニの衣裳は避けたかったが、この曲の衣裳にはそれが相応しく、プロデューサーとしての自身が着ざるを得ないと決断させたと語っています。「TATOO」は動画サイトで見ることができますが、四半世紀近くたった現在でもその強烈なインパクトとエッジ感は色褪せることはありません。
「TATOO」はリリースされた翌年に『ザ・ベストテン』は11年の歴史を閉じます。考えたみればテレビが一番華やかだったころ、中森明菜は時代に迎合することなくお茶の間に新しい提示を発信し続けてくれた存在だったのではないでしょうか。
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最終更新
2016-09-02