野田洋次郎の楽曲はなぜ女性ボーカルと相性が良いのか 〜“洋次郎ワールド”の分析と考察

野田洋次郎の楽曲はなぜ女性ボーカルと相性が良いのか 〜“洋次郎ワールド”の分析と考察
風間大洋
風間大洋

RADWIMPSの楽曲が各サブスクリプション・サービスで聴けるようになった。いやぁ嬉しい。解禁されたのは、シングルでいうと「25コ目の染色体」以降、アルバムでいうと『RADWIMPS 3~無人島に持っていき忘れた一枚~』以降の195曲。すごく頻繁にリリースをするタイプのアーティストではなくともこれだけの数の既存曲があるわけだから、それらをパッと思いついたタイミングで聴けることや、「マニフェスト」「シュプレヒコール」といったアルバム未収録のシングルを聴きやすくなったのもありがたい。


出典元:YouTube(radwimpsstaff)

彼らのディスコグラフィを眺め、聴き進めながら改めて感じ入ったのは、楽曲の振り幅の大きさとクオリティの両立だ。彼らが活動を始めた頃、ミクスチャーと呼ばれる楽曲の多くは「ラップ+ヘヴィロック、たまにエレクトロ要素」くらいの構成要素で成り立っていたが、彼らはロックやパンクやHIP-HOPのみならずジャズ、カントリー、レゲエ、ファンク……等々あらゆる音楽が自在にミックスさせ、ミクスチャー・ロック(という言い回し自体が廃れてしまったが)の新たなスタンダードを打ち立てたのだった。

曲ごとの質の高さの要因としては、個々のメンバーの演奏技術はもちろん、ソングライター・野田洋次郎の手腕による部分が大きい。多様な音楽ジャンルへの理解とそれを掛け合わせる卓越したセンスを併せ持った稀代のメロディメイカーであると同時に、リリシストとしても他と一線を画す個性を有しているため、歌詞にやられてRADWIMPSにハマったという人はかなりの割合いるのではないだろうか。近年では彼が提供した楽曲を他アーティストが歌ってヒットするというケースも多くなっているが、バンドサウンドではなくロックバンドが演奏をすることを前提にしていない曲においても、「ああ、洋次郎だ」と感じられるものばかりであること。そして、その多くが女性アーティストの_歌う曲であることは、彼の歌詞を考察する上で重要なポイントだと考える。

野田洋次郎ワールドとも呼ぶべき、歌詞の個性、特性はどんなものか。まずAimerの「蝶々結び」を聴いてみよう。


出典元:YouTube(Aimer Official)

この曲、ほぼ全編を通して「結び目」のことを歌っている。歌い出しからしばらくは蝶々結びの結び方そのものを、途中からはその形状やほどけやすさが描かれているが、これはもちろん主人公と相手との関係性、人と人との結びつきを喩えたもの。古くから「運命の赤い糸で結ばれる」など、恋愛と「結ぶ」ことを関連付ける比喩は多々あれ、ほぼその結び目のみにフォーカスし続ける曲というのはかなりレアであるはずだ。

このように視界をキュッと絞り込んだ歌詞表現は彼の得意とするところで、遺伝子や染色体といったミクロのモチーフまでしばしば登場させる。曲に込められた思いの強さをどう表すか?というときに、スケールを大きくするのではなく、むしろあえて小さく狭い箇所にフォーカスすることで、伝えたい思いの度合いを強烈に刻み込んでいくやり方だ。


出典元:YouTube(radwimpsstaff)

代表曲のひとつ「有心論」では「心」から「心臓」という絞り込みをした後、「左心房」という心臓の部位や、白血球や赤血球といった血液の構成要素にまで話が及ぶが、その視点だけにとどまらず、曲中でスケールが急激に拡大/縮小していって、<だって君は世界初の 肉眼で確認できる愛 地上で唯一出会える神様><君は地球を丸くしたんだろう?>という規模感マックスのフレーズまで出てくるから面白い。


出典元:YouTube(radwimpsstaff)

いきなり「僕が総理大臣になったら」というぶっ飛んだ仮定から入り、国民一人ひとりから一円ずもらって結婚式をする、誕生日を祝日にする、君のパパとママに国民栄誉賞を送る……などなど少々ヤバイ奴のレベルで熱愛っぷりを歌う「マニフェスト」や、軽々と銀河や時空まで飛び越えてみせる「前前前世」も、別に歌のテーマ自体は壮大でも変化球でもなんでもなく、むしろ「僕から君への愛」というごく普遍的なものだったりする。そういうふうに、普通に抱き得る種類の感情を規模感の大小を使い分けながら普通じゃない表現で描く点が、野田洋次郎の詩作における大きな特徴だ。それゆえにときには歌の主人公が、少々偏執的でヤバイ奴みたいになっていたりもするが無理もない。人間がもっともヤバイ奴になり得るタイミングの一つが恋愛の渦中なんだから、そのヤバさこそ極上のリアリティである。

さユりに提供した「フラレガイガール」も、フォーカスを当てる対象がピンポイントで秀逸だ。この曲で印象的に登場するアイテムは「9割5分も残った歯磨き粉」。身近な日用品一発で、同棲か半同棲くらいの関係性であったこと、その別れが唐突であっただろうことまで想起させ、また、その歯磨き粉を<強烈にまずい>、もらったワンピースを<猛烈にダサい>と毒づくことで未練だけでなく相手を忘れようとする葛藤まで滲ませる。結果、「こんなに好きだったのに」などと言うよりもよっぽど現実味が出て、“濃い”表現になっているのだ。また、最後には前を向いて終わる「フラレガイガール」に対し、全編通して憎悪に満ち満ちた問題作「五月の蝿」のような曲もRADWIMPSのレパートリーには存在するが、いずれにも共通するのは強い愛情が裏返ったゆえに起きた負の方向への暴走。彼はしばしばそういうドロドロとした、本来ならあんまり表に出さず押し殺しておくような_感情を、得意とする比喩表現は封印してどストレートな言葉に変えたりもする。


出典元:YouTube(酸欠少女さユり)

脳科学上の差異として、男女の思考回路には違いがあると言われる。カップル同士が揉めたり夫婦ゲンカが起きたとき、「問題はそこ?」「今それを言う?」という視点や論点のズレを感じたことのある人も多いと思う。よく話題に上がる論理的/感情的の違い以外にも記憶の領域やリスクマネジメントの面でも男女間には違いがあるという研究結果が出ているそうで、その中で男性的/女性的に振り切った思考をとる人もいれば、「両性視点」を持ち合わせる人もいるらしい。野田洋次郎がそのタイプかどうかはさておき、少なくとも、男女いずれにも「そうきたか」と思わせる着目の意外さと多彩さ、ミクロからマクロまでの視点を操った心情の切り取り方や、メタファーと直接的表現の使い分けの巧みさは彼のストロングポイントであり、そのことと、異性である女性が彼の曲を歌ったときの親和性は無関係ではないように思う。


出典元:YouTube((radwimpsstaff))

音楽面を一手に担った映画『君の名は。』と主題歌「前前前世」が大ヒットを記録したことで、RADWIMPSはそれまで以上に多くの耳に届くことになった。同じ新海誠監督作品の『天気の子』も記憶に新しいが、両作品におけるRADWIMPS楽曲のハマり方は、リアルとファンタジーが同居する作品の世界観の中で自身の楽曲が作品の中でどう流れるか、登場人物たちのどのような心情がそこに乗るのか、それによってどのような効果をもたらすかという観点で、表現の強弱や視点の置き方をコントロールした野田の詩作によるところも大きいのではないだろうか。

そして、『君の名は。』の劇中歌/エンディング曲「なんでもないや」を、同作でヒロインを演じた上白石萌音がカバー。『天気の子』では「グランドエスケープ」「祝祭」の2曲で三浦透子をフィーチャーしている。

出典元:YouTube((radwimpsstaff))

いずれの曲も一人称は「僕」なのだが、男女どちらの視点かを断定させない偏らない描き方がされていることもあってか驚くほどしっくりきて、ここでも野田洋次郎作品と女性アーティストとの好相性ぶりを見ることができる。自宅で過ごす時間の長いこの時期。一挙解禁されたRADWIMPSの楽曲群とそこに記された言葉を、聴く側である我々もまた、様々な視点や切り取り方で楽しんでみると面白いのでは。


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