平成を代表する音楽家、小室哲哉。今こそ聴きたい隠れた名曲たち
小室哲哉が1月19日(金)に引退を表明しました。兼ねてからスケジュールが決定していた、浅倉大介との新ユニットPANDORAによる初ワンマン・ライブ『PANDORA 2018@Billboard Live TOKYO』は、1月26日(金)に無事開催されました。話題のヒット曲「Be The One」はもちろん、テクニカルでプログレッシブなパート、ピアノ弾き語りなど、TKヒストリーを感じる音楽愛に溢れた演奏を聴かせてくれました。素晴らしいステージでした。
中でも注目は、PANDORAとして本領発揮したピアノやシンセサイザーをパーカッシヴにプレイする“デジタルオーケストラ”と形容すべき、メディア・アート文脈でも語れるパンキッシュな即興演奏という攻めたアプローチでした。「Be The One」というヒット曲を産みながらも、PANDORAとしてやりたかった本質は“これ”だなと思いました。
ネタバレとなってしまいますがコンサート終盤には、ソロ名曲「永遠と名づけてデイドリーム」を自身で歌唱。歌われたことでハッと我に帰るオーディエンスたち。“いつか僕が 泳ぎ疲れて この海に沈む時は どうか僕の 刻んだ調べを 永遠と名づけて”という歌詞フレーズの重さ……。音楽家としての覚悟を感じ取れた瞬間でもありました。見渡せば、オーディエンスは号泣していました。
ボーカルにBeverlyを迎えたPANDORAのヒット曲「Be The One」は、オリコン週間CDシングルランキングで2位を記録(2018年2月5日付)。ミュージックビデオはYouTubeで累計500万回再生されています。『仮面ライダービルド』主題歌であることから、キッズ人気も高く、2018年を代表する楽曲となるかもしれません。PANDORAは、2月7日にミニアルバム『Blueprint』をリリースします。気鋭の女性シンガー、Miyuuがボーカル参加した新曲「Shining Star」は「Be The One」にも負けないキャッチーな歌ものチューン。ぜひ、注目してほしい楽曲です。
以上、様々なファクターに注目しつつ、当コラムでは敢えて“TKの隠れた名曲”にスポットライトを当てて紹介したいと思います。4年前、2014年の取材時より、小室さん発言を引用掲載しながらプレイリストとしてお届けします。
TK SELF LINER NOTES 14
~小室哲哉、今こそ聴きたい隠れた名曲たち~
1986年:TM NETWORK「PASSENGER ~a train named Big City~」
ラップが入っています。六本木のディスコ(レキシントン・クイーン)をうろうろしている子たちが「ラップできるよ」って言ったんで、「スタジオ、遊びにくる?」っていったらみんな来たんです(後のマッシヴ・アタックのメンバー)。日本じゃないような光景でしたね。この楽曲の構成は、「My Revolution」のヒットもあって、レコード会社的にいろんなことが許してもらえるようになっていたので、相当攻めました。ヒット曲を生み出すというのは、大きいなと切実に感じましたね。ちなみに「My Revolution」は作曲法で音楽評論家や作曲家から評価を得たんですよ。イントロはドナ・サマー、サビはディオンヌ・ワーウィックからインスパイアされて。シュープリームスとかモータウンのようなヒット曲から影響されて、何もかもが、今までの歌謡曲にはなかった。それが面白いと評価してくださった。TMの楽曲にも自由度が増したと思います。通常歌謡曲ってAメロBメロって展開して、ABおちてサビにいかないといけないのですが、洋楽と同じく、Bメロがないとか。あとは耳に残るリフレインのブラスセクションを生楽器で録音出来るようになった。この時代に音楽を作るって、とにかく人が必要で。アルバム作りというのは、短編映画を作るような感じだったと思います。
1987年:松田聖子「Kimono Beat」
この曲が収録されたアルバムは名盤でしたが、シングル曲になったのはレベッカの土橋君で。……悔しかったですね。この頃、聖子さんのシングル曲を担当するのは、作家としては勲章だったんです。次は誰がやるんだろう? っていう。TMも勢いが出始めてきた時期でした。可愛いタイプの曲はアイドルへの提供楽曲にまわしてましたね。この両極の振り切り方がブランディングとしてよかったのかもしれません。
1990年:CoCo「春・ミルキーウェイ」
担当プロデューサーは有名な渡辺有三さんですね。当時人気だった『BOMB』っていうアイドル雑誌を思い出します。僕のソロアルバム『Digitalian is eating breakfast』に別歌詞バージョンを「I WANT YOU BACK」として収録しています。曲のメロディは同じなので、聴き比べてみると面白いと思いますよ。この頃からWINK人気とかもあって、アイドル界隈で打ち込みサウンドが増えてきましたね。ユーロビートのテンポって日本人に合っていたんだと思います。
1991年:渡辺美里「JUMP」
直接的ではないけれど湾岸戦争を意識されて書かれた歌詞かな。美里は、メディアに積極的に出ていたワケではないけど、女性アーティストを象徴するポジションを確立していました。毎年、西武球場での野外ライブもやっていたんですよね。すごいことだと思います。タイミング的には、TMNの頃ということもあってロックテイストが強いサウンドですね。ツアーにもギターの葛城哲哉が参加していました。
1991年:小室哲哉「永遠と名づけてデイドリーム」
先日、ビルボード(2014年)で坂本美雨さんが歌ってくれました。ありがたいことにカバーもしてくれているんですよ。モーツァルトがテーマにあるので、とても音楽的にこだわって作った曲です。相当考えて作ったことを覚えています。非常にクラシックな手法をとった音楽理論的に整合性のある曲で、左手をドレミファソラシドって、ただ上げていくだけで、コードを弾かなくてもちゃんと成立する、ポップスではない作り方になっています。コードからではなく、バイオリンならバイオリンの、単音でドレミファソラシドだけを弾くっていう。でも、陰ではメロディーがその間を縫っていくという効果があるんですね。この頃は、スタジオでエンジニアと二人だけで、とにかく曲作りやレコーディングばかりしてました。ピアノをたくさん弾いてましたね。ありがたいことに大きなスタジオを使い放題だったんですよ。僕にとっての遊び場ですよね。ポップミュージックって消耗品な見え方があると思うので、この曲はそれへの反抗でもありました。長く聴ける曲にしたかったんです。若い頃にこんな曲を聴けているとピュアになれるんじゃないかな。いま、レコード会社のA&Rとかたくさん担当アーティストを抱え過ぎでしょ? もう少し余裕ある中で音楽は作っていきたいですよね。
1991年:小室哲哉「マドモアゼル・モーツァルトのテーマ」
ミュージカル『マドモアゼル モーツァルト』のサウンドトラックです。いくら極東の小さな島国からの発信とはいえ、失礼があってはいけないなと本気で頑張ったクラシック・アルバムです。音楽座という素晴らしいミュージカル・チームのためにもいい作品を作りたかったんです。80年代にロンドンでミュージカルに目覚めて、80年代末に『CAROL』プロジェクトがあって、そしてここに辿り着いたんですよね。
1993年:東京パフォーマンスドール「キスは少年を浪費する」
エピックのアイドル・グループです。最近、新メンバーで復活して「ダイヤモンドは傷つかない」をカバーしてくれました。今のAKB48グループにもつながる、劇場での公演を売りにしていたり、大阪や上海へのフランチャイズも展開していました。ライブがミュージカル要素を持っていたのも面白かったです。trf的なテクノ・サウンドを提供したのですが、まだダンスの時代ではなかったのかもしれませんね。
1994年:trf「WORLD GROOVE 3rd.chapter (main message)」
今でも、trfのライブの最後に選曲される大事なナンバーです。TM NETWORKでいうところの「ELECTRIC PROPHET(電気じかけの予言者)」のようなポジションかもしれません。当時、トライバルというキーワードもあったけど、trfをもう少し高尚なイメージにしたい考えがありました。TM NETWORKもtrfもglobeでも共通しているのは、男女間の一対一の関係のような一人称二人称での世界観を持っているグループではなくて、客観的に全体を俯瞰しているイメージなんですね。なので、私小説的なものではないですよね。情報的なものを、情景描写というか、その時代のインフォメーションを伝える存在としての音楽というか。それが、大きな意味ではカルチャーになってくれたらうれしいなと思ってました。そんな意味ではTM NETWORKよりtrfの方が成功していたのかな。エイベックスという存在も大きかったかもしれません。trfでいえばディスコとクラブの間くらいにあるイメージですよね。未成年から大人になる、大人の遊び方の入り口というか。ガキっぽくないものは何だろう?ってことを客観的に教えてあげる感じだったんですよね。ここから加速がはじまって、さらなるブレイク期へ突入します。この後、音楽の作り方における環境が大きく変わりましたね。
1996年:globe「Precious Memories」
実は、ファンの間で一番人気ってぐらい評判が高い曲ですね。渋谷の交差点を想定して作った曲です。カフェから見下ろした雰囲気というか。実際行ったワケではなく妄想ですけどね(苦笑)。歌詞の言葉選びも、時代の変化で古臭くなる単語だったら困るなと思っていたんですけど、かろうじて今でも大丈夫っていう。“アドレス”って言葉もまだ残っているしね。“ヒール”の取り入れ方もまだ大丈夫ですよね(苦笑)。
1999年:TRUE KiSS DESTiNATiON「AFRiCA」
日本語詞によるカバー曲です。もともとTOTOは好きだったんですよ。SPEEDWAYの頃から影響を受けていました。「AFRiCA」のきれいなメロディはR&Bにすると相乗効果の高いカバーになるんじゃないかと思ったんです。フォードのCMソングにも起用されました。当時は、90年代末のブレイクのご褒美じゃないですけど、好きなことをやれる時期だったんです。音楽にとても集中していましたね。
2002年:globe「seize the light」
YOSHIKIがやりたかったことをX JAPAN以外で表現したナンバー。当時globeをさらに進化させたくてYOSHIKIといっしょにやってみたかったんだよね。globe extremeというユニット構想もありました……V2もそうだったけど、1曲だけで終わっちゃったね。ちょうどV2の「背徳の瞳~Eyes of Venus~」から10年後でした。曲はYOSHIKIとプデータのやりとりをしながらプログラミングしていったのを覚えています。
2010年:SUPER☆GiRLS「Be with you」
ご褒美というよりはご祝儀に近いお祝い曲ですね。「エイベックスにもアイドル・グループがいてもいいんじゃないの?」と言った手前、1曲ぐらいは提供しないと、という気持ちがありました。彼女たち以降、エイベックスにもアイドルがどんどん増えてますよね。この曲もそうですけど、「小室さん、相変わらずいい曲だね!」ってみなさんに言ってもらえるのは、やっぱりうれしいですね。
2011年:坂本美雨「True voice」
坂本美雨ちゃんは、エバンジェリストのように僕のメロディを歌って広げてくれる、とても大切な存在ですね。「True voice」はクラシックなアーカイブからのメロディーに近いかもしれません。やはり歌声がとても素晴らしいです。今年(2014年)、東京と大阪のビルボードでやったカバーライブのプロジェクトは、その場限りでしか聴けないというのも大事ですけど、作品としても残していきたいなって思っています。
2013年:小室哲哉「Human Illumination feat. Silvio Anastacio」
世界的なヒット曲に憧れています。国境、言葉、民族を越えていける楽曲。そんなことを意識した曲ですね。日本の先進的なクラブ好き、ダンスミュージック好きな人が集まったのが先日の『ULTRA JAPAN』でしたが、全世界を一発で掌握する楽曲が日本から生まれるのはこれからかな。僕の中では、K-POPのBIG-BANGが一番、しっかりポップでダンスミュージックなんじゃないかなと思っています。
2014年:SCANDAL「Place of life」
彼女たちがすごく意欲的で、共作することになりました。楽曲に関しては、ガールズバンドなので「4人で演奏できる曲」ということを、まず考えましたね。あとボーカルのHARUNAは若いんですけど、90年代のTM NETWORKをかなり聴いているそうなんですよ。嬉しかったですね。この曲は、「inochi未来プロジェクト」というキャンペーンの公式ソングになっています。
※TKコメントは『ぴあMOOK TM NETWORK 30TH ANNIVERSARRY SPECIAL ISSUE 小室哲哉ぴあ』より引用。