FUJIBASE|NEON TOKYOで話題沸騰の鬼才が『新東京市音頭』で告げる新時代の幕開け
2024年、21歳の若さで始動したエレクトロ・ロック・ソロプロジェクト、FUJIBASE。作詞・作曲・編曲から演奏に至るまで、すべてを自ら手がけるマルチな才能が、7月16日に待望の1stフルアルバム『新東京市音頭』をリリースした。
今作のアルバムタイトルにも用いられ、SNSで100万回以上再生された「NEON TOKYO」を筆頭に、全10曲を収録した同作にはFUJIBASEの多彩でディープな世界観が凝縮されており、そのサウンドのスケールはデビュー作とは思えない完成度を誇る。FUJIBASEが学生時代から敬愛するASIAN KUNG-FU GENERATIONの伊地知潔(Dr.)、台湾を中心にアジア圏で支持を集めるRINNEEE(吉田凜音)がゲスト参加し、リリース直後から早耳リスナーや業界関係者の間で急速に存在感を高めている。
そんな脅威の新人 "FUJIBASE" を新人特集「NEW BLOOD」に招き、その素顔と音楽観に迫った。(編集部)
インタビュー・テキスト:矢島由佳子
――インタビューを受けるのは今回が初とのことで、基本的なところからしっかり聞かせていただけたらと思っています。そもそもFUJIBASEはいつ、どういった想いから始めたプロジェクトですか?
高校1年の頃から軽音部内や校外でバンドを組んで、ずっと曲も作っていたんですけど、自分はドラマーなのでフロントマンたちに「この曲はもっとこういうイメージなんだけどな……」みたいなフラストレーションが溜まっていて。そこに対して喧嘩を売る形じゃないですけど、「俺、一人でもできるけど」「自分が歌ったらこうなる」みたいな気持ちで、世に出すつもりもなく専門学校の授業中に曲を作ったのが始まりです。専門もドラム専攻で、本当は人前に立ちたくなかったんですけど。
――バンドを組んでは「思うようにいかない」という経験を繰り返して、自分が作った曲や自分のやりたい音楽をイメージ通り表現するには前に立たざるを得ないと思ったんですね。
そうですね。こんなはずじゃなかったのにって、たまに思います(笑)。
――FUJIBASEさん自身はずっと、どういう音楽をやりたいと思っていたんですか?
ずっとバンドだったので、縛られている感もあったというか。EDMも好きだったので電子音を使った音楽もやりたかったし、普通のドラム、ギター、ベースの音だけじゃなくて、いろんな音を混ぜたいと思ってました。あと、バンドだと「哀愁」を出すのが難しいなと思って。それが始まりであり、今も大事にしているところですね。
――「エレクトロ×ロック」や「哀愁」は、FUJIBASEの音楽を表現するうえで重要なキーワードですよね。そういったものを作りたいと思うのは、どういう音楽がFUJIBASEさんのルーツにあるからなのでしょう。
幼稚園のときに映画『トランスフォーマー』を観て、エンディングでLINKIN PARKを聴いたときの衝撃は忘れないですね。ずっと空手をやっていたんですけど、小2の頃にアニメ『頭文字D』が好きで、そこで流れていたユーロビートを試合前に聴いてました。プロレスラーの入場曲も、昔はギターが主張している曲が多かったと思うんですけど2010年代になってから電子的なものが増えて、そういうのも聴いてました。
――そういう音に奮い立たされていたんですね。ドラムはいつから始めたんですか?
小5で始めました。母がONE OK ROCKが好きで、「ドラムがいいのよ」って言い出して。母が買ってきたライブDVDを観るときも、Tomoyaさんのドラムばかり観るようになって、自分の太ももをバンバン叩いたりして。小5になったとき、いよいよ「本物のドラムをやりたいです」と言って習わせてもらいました。
――「NEON TOKYO」「Game Over」では、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの伊地知潔さんがドラムを叩かれていますけど、それはどういう想いでオファーされたんですか?
アジカンはマジで青春でした。めっちゃ好きです。知り合いを通して連絡させていただいたら、何曲か聴いてもらったうえで「かっこいいのでやりましょう」って言ってくださって。曲を評価して叩いてくださったことが嬉しかったです。しかも曲への解像度が深くて。スタジオに入って叩いてくださったとき、好きな人の手によって自分の曲の味が変わっていく感じが楽しくてしょうがなかったです。ずっと目をかっぴらいたまま興奮してました。夢のようでしたね。サインももらって飾ってます(笑)。
――FUJIBASEさんが作る曲は、歌詞も大事にされていることをすごく感じるんですけど、音楽の中の言葉に救われた経験もありますか?
一番元気をもらったのは、神聖かまってちゃんの「ロックンロールは鳴り止まないっ」。小中の頃、空手のほかに野球もやっていたんですけど、かまってちゃんを聴きながら土手を5キロくらい走っているときに音楽だけやろうって決めました。あの曲は、ロックンロールの原体験を真っ直ぐ歌っているじゃないですか。それが自分に重なって、直に訴えかけてくるような感じがあって、めちゃめちゃ刺さりましたね。
――今の話はFUJIBASEさんが「Therapy」で歌っていることに通ずるものだと言えそうですね。曲を書き始めたのは、いつ頃?
中学の登下校中に、失礼な話ですけど「あの曲のあそこってもっとかっこよくできるんじゃないか」って考えたり、自分でメロディを考えたりして、スマホのアプリで8小節くらい音を入れて遊んでいたのが最初です。
――「俺だったらもっとかっこよくできるのに」みたいな子どもの無敵感って、大事ですよね。そこから飽きずにハマっていって、本格的に機材も揃えて、という感じですか?
そうですね。高校の頃、Twitter(現:X)でメンバーを集めて組んだバンドのギターが、MacBookとLogic Pro(音楽制作ソフト)を持っていて。それを貸してもらったら、スマホよりも自分の頭にある音がちゃんと出ることに感動して、親に買ってもらって、そこからずっとやってますね。
――FUJIBASEを始めるきっかけとして初めて自分で作って歌った曲は、1stアルバム『新東京市音頭』に入っていたりしますか?
最初に5曲くらい作った中のひとつが、「NEON TOKYO」ですね。
――あ、すごい。この曲、聴くたびに泣きそうになるんですよね。作り手の強い意志とか訴えたいことが伝わってくる音楽に私は心を動かされるんですけど、これはその塊みたいな曲だなと思って。
ありがとうございます、嬉しいですね。曲を書くときの「必死に何かを伝えたい、落とし込みたい」という熱量が、1stアルバムの曲には全部出ていると思います。「NEON TOKYO」も、当時の心情がそのまま乗っかっているなって思いますね。病み体質というか(笑)。バンドがダメになって「俺一人で音楽やっていくわ」って言ってる反面、結構しんどかったし、バンドをやりたかったのもあって、それが全部滲み出ているというか。そういう心情と、思い描いているファンタジーが合致して、そのまま出たっていう感じがします。
――サビで〈暗がりの中見えない世界ずっと探した気がした〉、〈内側までを覗くようなこと探すの〉と歌っていますけど、自分の未来が見えないような絶望もある中で、内側をさらけ出した音楽や芸術を求めているし、自分も音楽や芸術で心の内側をさらけ出したい、という気持ちの表れでもあると言えますか?
そうですね。僕は基本シャイであまり我を出さないんですけど、たとえばメタル系のライブとかで衝動に駆られてモッシュしたりするのはめちゃめちゃ好きで。音楽って、ある種「亜空間」みたいな感じだと思うんです。音だけ浴びて、人に揉まれて、人のうえに上がるようなライブ空間は、「現実ではないんじゃないか」みたいに思う。初めてライブを観たのが13歳のときのParamoreで、ライブの中盤でスキンヘッドの人が頭から血を垂らしながら流れてきたりして、それが今でも忘れないくらい衝撃だったんです。映画を観ているときだけ感情が爆発したり、絵を描いているときだけ自分の世界に入ったり、そういうことがあると思うんですけど、「NEON TOKYO」では、芸術にのめり込むことのメタファーとして「空想世界」「架空の世界」を描きました。メッセージとしては、「そこに逃げていいんだよ」というか。もう令和だし、耐えることだけが正義じゃなくて、逃げることだって正解だし。逃げる先が自分ののめり込める芸術だったらいいな、っていう感じですね。
――そうやってFUJIBASEさんの音楽というものに対する強烈な想いがテーマになっている曲が、1stアルバムにはいくつかあると思うんですけど。さっき言った「Therapy」や、「talking to myself」、「COPY and PASTE」もそうですよね。
「COPY and PASTE」「talking to myself」は同時期に作りました。「COPY and PASTE」は強がっている曲ですね。「talking to myself」はフィクションに寄った曲で、終盤に向かって「こわっ!」ってなるようなものを作りたかったんですけど、サビはそのときの自分の心情をそのまま書いています。どれだけいいアイデアをイメージしても、形になったものがよくなかった場合、誰も聴いてくれないじゃないですか。それをわかっているけどわかってないふりしているような曲です。これも自分の心情とファンタジーの掛け合わせですね。
――まず「COPY and PASTE」についてツッコむと、これは、世の中は誰かを真似した「コピペ」的なものばっかりだと叫びながら、自分もそうなっていないかという自問自答を含んでいるような曲だと思いました。
その曲を作ったのは学生時代で、自分のオリジナルを見出したいと思って色々考えていたけど、俺が作った曲よりもアイツが作った他に似たり寄ったりな曲が先生に評価されていることに腹が立って。でも正しいといえば正しいというか。人間って、尖ったものを出されても、最初は受け付けないから、「コピペ」まではいかなくとも近しいものにはなるよなって。当時はそういう音楽の中にも個性があるということを見る余裕もなかったので腹が立っていて、自己防衛のためにわざと強い曲を書いた感じですね。意地を張っている曲です(笑)。
――「NEON TOKYO」や「talking to myself」で言ってくれたような、自分の心情だけでなく、そこにファンタジーを掛け合わせることは、曲を書くときに大事にしているポイントですか?
大事にしていますね。映画の空気感を曲にしたいというか、曲を作るときは脳内の妄想や映像から始めることが多くて。真っ直ぐな曲も大好きではあるんですけど、僕の音楽を聴いているときだけは、それこそバーチャルの世界に入り込んでほしい。その人が思い描く世界の中にいろんな物語があるよ、ということを僕は提示しているだけですね。
――アルバム『新東京市音頭』は、全体を通して、私はディストピア的な世界観を感じたんですけど、そう言われるとどうですか?
そう言われると、そうかもしれないです。
――これは私の考えですけど、国家同士の争いもSNSもAIも、ディストピア的な世界が加速しているなと思う瞬間が多々あって。ファンタジーを曲の世界観にしているといえど、現実を無視せずに音楽を描いている感じがすごくします。
直接的にがっつり書くことは得意じゃないんですけど、「今の現実である問題に対して、僕の考えはこうですけどね」みたいなものを毎回20%くらいは曲に入れているので、それが関係しているのかもしれないですね。
――さっき「もう令和だから、耐えるだけじゃなくて逃げることも正解」って言ってくれたけど、FUJIBASEさんの音楽は、今の時代や世代の生きづらさを音に昇華して、そこからの逃げ場所を作ってくれるものだと感じていて、それが素晴らしいなと思うんですよね。たとえば「Freedom」の〈自由が苦しい〉とか、この時代や世代の自由の捉え方から生まれた歌だなと思いました。FUJIBASEさん自身、今「自由」というものにどういう考えがあると言えますか?
この曲は、哲学家・ジャン=ポール・サルトルの「自由という刑に処せられている」という言葉を見て書き始めました。たとえば、この椅子なら生まれた瞬間から「人に座ってもらうための道具」という役割が与えられているけど、人間って「何のために生まれた」というのがないじゃないですか。根本的には縛られていない。自由すぎるからこそ孤独であり、責任感というものが必ず芽生えるわけですけど、それを背負ったうえでも人を愛する選択をしたりする。僕らの役割は定められてなくて、自由だからこそ、たとえ「最悪だ」と思ったとしてもどうにでもなるというか。一歩踏み出して人生が終わるわけじゃないから「一回行ってみようぜ」みたいなポジティブなメッセージを、また妄想と掛け合わせたのが「Freedom」ですね。
――サビの〈We on the seek for love and warmth〉も、日本語訳の「愛や温もりを探し求めている」は、言ってしまえば80、90年代のJ-POPでも歌われてきたフレーズだと思うんですけど、FUJIBASEさんが歌うと今の温度感で伝わってくるというか。効率ばかりが求められて感情がないがしろにされる社会で愛や温もりを探している、という響き方になっているなと思うんですよね。
現代人は余計に人肌が恋しくなっているのかなって。昔の人がどうだったかはわからないですけど。それを否定するとかではなく、「現実で温度を感じる何かがほしい」という感覚を落とし込みました。SNSが発達している中で、僕もゲーム友達とかいるんですけど、現実へ戻ったときに「あれ、俺、あんまり友達いなくない?」と思ったりして。それも自由ゆえの孤独とか、自分の行動に伴う責任というところに繋がってくるのかなと思います。
――この曲を書くときには、どんな妄想が頭の中にあったんですか?
アーティストのAURORAと、KOPAKUさんというイラストレーターが大好きなんですけど、KOPAKUさんが描く背景の中でAURORAが踊っている絵が浮かんで、それを曲に持っていった感じです。だからダンサブルなんですけど、根底にあるのは儀式的でアナログな風景みたいなイメージがありました。
――「Freedom」はBメロだけ日本語で、他は英語じゃないですか。たとえば「NEON TOKYO」や「Therapy」は全編日本語ですけど、英語と日本語のバランスはどんなふうに考えているんですか?
まず頭に浮かんでいる画を音にしたくて。そこでできあがったメロディに対して、単純に英語と日本語のどちらが合うと思うかで分けていますね。最初は宇宙語でメロディを作るんですけど、そこで出た母音やニュアンスは崩したくないので、日本語と英語を臨機応変に使っている感じです。ただ、日本語の方が「伝えなきゃ」という気持ちがより強く出るので、歌詞で攻めたことを言っているなと思ったりはします。
――英語も、言いたいことが濃く伝わってきますよ。グローバルに音楽を届けたいという意識は強いですか?
意識していますね。もともと海外のバンドが好きなので、「この人と一緒にやりたい」「この人と曲を作りたい」という願望を叶えたい。あと、FUJIBASEは逃避する場所でありたいし、FUJIBASEの音楽に逃避したい人のコミュニティを作りたいという気持ちがあるんですけど、それは別に日本人だけに向けているわけじゃなくて。世界中でそういうコミュニティができたらいいなという願望があるので、世界中の人に聴いてほしいと思っていますね。
――特に共演したいアーティストは誰ですか?
めちゃめちゃいますけど……Bring Me The Horizonとは死ぬほどやりたいです。
――ここまで好きなアーティストをいくつか挙げてくれましたけど、FUJIBASEさんの根本には今もバンドへの憧れがあったりしますか?
バンド、やりたいです。ドラマーとしてメタルコアをやりたいですね。でもそれはないものねだりなので。「バンドはやってられんわ」と思ってFUJIBASEを始めたわけですし。
――その想いがあるならきっとライブはすごく大事にしたいポイントなのだろうなと思うんですけど、ライブはどんなふうに育てていきたいですか?
今はギター、ベース、ドラム、僕の4人編成で、バンド感とかバンドサウンドとの絡み方を大事にしていますね。ライブは、音源を聴いたときとはまた違う、バンドで鳴らしたときの迫力と熱量が曲とマッチして目の前にいる人に届けばいいなと思っていて。音源ではあえてバンドサウンドを中和させていたりするんですけど、それがライブだと直に伝わると思うので、音源とは別の楽しみ方をしてもらえるんじゃないかなと思います。
――「海外アーティストと共演したい」「逃避する場所を作りたい」とか、いろんな願望を語ってくれましたけど、まずはFUJIBASEをどうしていきたいですか?
まずはFUJIBASEという基地、コミュニティをデカくするところから始めたいです。そこからみんなで色々なことを共有して、新しいものが生まれたらなと思います。
――最後に改めて、なぜそこまで音楽やアートで逃げ場所を作りたいと思うのかを聞かせていただけますか。
僕自身、最終的に行き着く先がいつも音楽だったので、自分もそういう場所でありたい。あと「自分は間違ってなかった」と思うためにも、人を救うまではいかなくても、助けたいなと思う。そこに執着していると思いますね。