みんなで祝おう!! 2023年デビューアニバーサリーアーティスト特集

みんなで祝おう!! 2023年デビューアニバーサリーアーティスト特集
KKBOX編集室
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音楽がヒットする法則として大きな影響を持つようになったTikTok。再生回数1億超えというZ世代のアーティストたちが続々登場している。その一方で、2023年は音楽シーンに大きな影響力を残すキャリアアーティストや人気のアーティストの周年アニバーサリー・ラッシュとなる年でもある。そこで今回のコラムでは、メジャーデビューしてから25年以上になる四半世紀~半世紀と音楽活動を続けているアーティストに焦点を当てピックアップ。周年という節目を迎えたアーティストたちへのお祝いの気持ちを込めて紹介していこう。

魂の歌。石川さゆり(1973年3月デビュー)-デビュー50周年

出典元:YouTube(TEICHIKU RECORDS)

2023年のビッグアニバーサリーはデビュー50周年を迎える石川さゆり。2022年3月にはアニバーサリー第1弾シングルとして加藤登紀子とコラボレーションし、 白い雪に覆われる北の地に想いを寄せた「残雪」をリリースした。また45回目の出場を果たした『第73回NHK紅白歌合戦』では、東京フィルハーモニー交響楽団と和楽器の演奏隊を引き連れて圧巻の「天城越え」を披露してくれた。国民的歌手として誰もが認める石川さゆりだが、1973年3月にアイドル演歌歌手として「かくれんぼ」でデビュー。当時のトップアイドルだった森昌子や山口百恵、桜田淳子の影に隠れたこともあり、大きな人気を得ることができなかった。しかし、それが石川さゆりのターニングポイントとなる。改めて歌に向き合うために、昭和の演歌歌手で浪曲師の二葉百合子の元で基礎から歌を学び直したのだった。そしてデビューから4年後の1977年、「津軽海峡・冬景色」が大ヒットし、人気演歌歌手としての道を歩み始めることになる。「津軽海峡・冬景色」と「天城越え」は、なんと2007年以降の『紅白歌合戦』で交互にずっと歌い続けている曲だ。四半世紀以上も前にリリースされたこの2曲が、いまなお形を変えて歌い継がれているのは奇跡としか言いようがない。

石川さゆり自身はこのことについて「この歌を聴いて1年を終わりたいという方がたくさんいらっしゃいます。自分で言うのはおこがましいんですが、この2曲を皆さんが日本の歌のスタンダードにしてくださっているとしたら、歌い手としてこんなに嬉しいことはありません」と語っている。

出典元:YouTube(TEICHIKU RECORDS)

演歌のみならず様々なジャンルに挑戦してきたのも石川さゆりの歴史だ。その代表曲はSAYURI名義でリリースされたジャズ調の「ウイスキーが、お好きでしょ」。「サントリーウイスキー」のCMソングとして企画制作されたこの曲は、竹内まりや、ハナレグミ、クラムボンなど多くのアーティストに歌い継がれ影響を及ぼしている。また椎名林檎や森山直太朗、布袋寅泰など様々なアーティストとコラボレーションした『X(クロス)』というアルバムプロジェクトにも2012年から取り組み、デビュー50周年記念シングル第2弾 「虹が見えるでしょう」では 、NARGO/谷中 敦(東京スカパラダイスオーケストラ)とコラボレーション。また新しい魅力を聴かせてくれている。

サザンオールスターズ / 竹内まりや ほか(1978年デビュー)-デビュー45周年

今年デビュー45周年を迎えるのは1978年のデビュー組だが、日本のポップスシーンに絶大な影響を残した多くのアーティストたちが名前を連ねている。「勝手にシンドバッド」でデビューしたサザンオールスターズは、短パン姿で人気音楽番組『ザ・ベストテン』に出演し大きなインパクトを残した。司会の黒柳徹子が「あなたたちはアーティストになりたいの」と質問すると、桑田佳祐は「いいえ、目立ちたがり屋の芸人です!」という名言を残している。

また女性シンガーソングライターでは、アイドルのような雰囲気を持ちながらも都会的エッセンス溢れるポップスソング「戻っておいで・私の時間」で竹内まりやがデビューしている。

そのほかにも、現在配信中のAmazon Originalアニメ『ルパン三世VSキャッツ・アイ』で主題歌「CAT'S EYE 2023」を歌う杏里、本年1月の福岡サンパレスホテル&ホールの公演をもって全国コンサート活動から引退する髙橋真梨子、ジャパニーズロックの黎明期を作り上げたARBやシーナ&ロケッツなどの偉大なるアーティストたちもこの年のデビューだった。

世界中が夢中になったマドンナ(1983年)-デビュー40周年

海外に目を転じると、音楽スタイルや音楽に対する価値観を世界的に大きく変えたのが、アルバムデビューから40周年を迎えるマドンナだ。1983年に『Madonna』でデビュー、翌年にリリースした「ライク・ア・ヴァージン」は初の全米1位となったのはもちろん、日本を含む世界中で爆発的な人気を獲得した。その大きな理由はミュージックビデオという新たな表現方法を巧みに取り入れたことだろう。日本でもたくさんの海外アーティストたちを紹介する音楽番組『ベストヒットUSA』が大人気だった時代に、革新的なダンス音楽に加え、過激でセクシャルなビジュアルを取り入れたマドンナ。いまではレディ・ガガやビヨンセなどを筆頭にセクシャルな表現は当たり前になっているが、40年前の表現方法としては実に画期的な出来事だった。

出典元:YouTube(Madonna)

マドンナ以降、時代に合わせて自身のスタイルを次々と変化させ、多くのアーティストたちに影響を与え、現在に至るまでポップ・ミュージックの最重要アーティストとして存在感を示し続けている。現在65歳のマドンナは、41歳年下の男性モデルとロマンスが囁かれたり、TikTokにすっぴんで登場したりするなど、以前と変わることのないお騒がせっぷりを披露している。

最先端から加速し続けたB’z(1988年9月デビュー)-デビュー35周年

ー最先端から加速する。

今でも印象に残るそんなキャッチフレーズで、シングル「だからその手を離して」とアルバム『B’z』の同時リリースで、B’zは1988年9月にデビュー。バンドブーム全盛期だった当時、TMネットワークのサポートギタリストとして活躍する松本孝弘と、ハイトーンボイスの稲葉浩志による音楽ユニットという形態は話題性もさることながら、非常に斬新な存在だった。以降、語り尽くせないほどの数々の名曲やヒット曲を輩出し、アーティスト・トータルセールス(オリコン集計のCD総売上枚数)では史上1位に輝くB’zだが、その歴史の中でもエポックメイキングとなった楽曲はなんだったのだろう。それは間違いなく1989年10月にリリースされたミニ・アルバム『BAD COMMUNICATION』と言えるのではないだろうか。エロティックな情景を見事な歌詞に落とし込み、それをこれまでになかったようなロック・ダンスビートと融合させリフレインする「BAD COMMUNICATION」は、聴けば聴くほど中毒性を帯びる楽曲だった(いま聴いても、このカッコ良さは半端ない)。しかし7分を超えるような挑戦的な楽曲だったので、ラジオでは当初ほとんどOAされることはなかった。しかし有線放送でリクエストが急増し年末にかけて大ブレイク、チャートランキングは赤丸急上昇し、B’zの名前を一気に押し上げていく楽曲になっていったのだ。

「BAD COMMUNICATION」のロングヒットが続く中で、1990年3月からスタートした全国ツアー『B'z LIVE-GYM "BREAK THROUGH"』の初日にあたる浦和市文化センターのライブを偶然にも見る機会があったのだが観客たちの立てノリが会場の外まで響き渡る程の異様な熱気に包まれていたのを記憶している。その会場の光景を見た瞬間にB’zの大ブレイクを確信できた気がする。そして1990年6月にリリースしたシングル「太陽のKomachi Angel」でオリコンシングルチャート初の1位を獲得以降、「LOVE PHANTOM」「ultra soul」「声明 / Still Alive」というヒット作を輩出し、B’zはこれまで49作連続1位というオリコンシングルチャートを記録中だ。現在35周年のイヤー中のB’z。いまはストリーミング全盛の時代ではあるが、このアニバーサリー・イヤーの間に是非とも50作連続のシングルチャート1位という記録を打ち立てて欲しいという思いでいっぱいだ。

出典元:YouTube(Bz)

そして5年振りのベスト選曲となる『B'z LIVE-GYM Pleasure 2023 -STARS-』 ツアーが6月のSAGAアリーナ(佐賀県)を皮切りに、全国14都市全28公演のアリーナ&ドームツアーとして開催される。ライブの1曲目がどの曲になるのか、いまから待ち遠しくてしょうがない。

音楽性がまったく違うTRF と 斉藤和義 (1993年デビュー)-デビュー30周年

TRFが「GOING 2 DANCE/OPEN YOUR MIND」で、エイベックス邦楽第1弾アーティストとしてデビューした1993年はバブル経済が終わり、景気が徐々に後退し始めていた時期だったが音楽業界は熱気に溢れていた。 CHAGE&ASKAの「YAH YAH YAH」が、240万枚セールスを記録。またB’zやZARD、WANDS、DEENなどのいわゆるビーイング系のアーティストがミリオンヒットを連発し、この年は17タイトルのシングルがミリオンセールスを記録している。そんな中で新たな一大勢力を築くのが小室哲哉プロデュースのサウンドであり、エイベックス系アーティストたちだった。

出典元:YouTube(TRF)

ボーカル+DJ+ダンサーというそれまでのポップスシーンにはなかったスタイルで登場したTRFは、音楽の歴史を大きく変化させていく予感に溢れ、一気に時代のトレンドとなっていく。そして1994年から1995年にかけては、「BOY MEETS GIRL」などシングル5作連続でミリオンセラーを記録。「Overnight Sensation ~時代はあなたに委ねてる~」が『第37回日本レコード大賞』を受賞するなど絶頂を極めていく。TRFの成功は、その後の小室サウンドの成功に繋がっていった。

この年にはもうひとり特筆するアーティストがデビューした。シンガーソングライターの斉藤和義だ。デビューシングル「僕の見たビートルズはTVの中」はハーモニカの音が印象的なミディアムテンポの楽曲で、この頃のキャッチフレーズはフォークシンガーを思わせる『四畳半じゃ狭すぎる』だった。TRFのサウンドとは真逆の立ち位置だったと言っていいだろう。もちろん斉藤和義自身はそんなことを意識していたわけではなく、彼が好きな音楽を追求していたのだと思う。

出典元:YouTube(斉藤和義)

1994年にリリースした「歩いて帰ろう」がスマッシュヒットをしたものの、セールス的には伸び悩む時期が長く続いた。しかしその間もライブ活動を精力的に取り組み、ファン層を確実に広げていく。「歌うたいのバラッド」や「月影」などはそういったライブ会場から生まれた名曲だ。そして一気に知名度が上がったのは、2007年から2008年にかけてリリースしたゼクシィCM曲「ウエディング・ソング」や、アリナミンCM曲「おつかれさまの国」の頃。デビューから15年目にして、斉藤和義は多くの人たちに知られることになる。そして決定的だったのはドラマ『家政婦のミタ』の主題歌となった「やさしくなりたい」(2011) の大ヒットだった。そしてその翌年にはデビュー20年目にして『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たす。遅咲きながら今では誰もが知り、ギター少年たちの憧れにもなった斉藤和義。その音楽スタイルはデビュー以降から変わることはなく、ライブを大切にしながらの音楽活動を続けている。

5人の国民的歌姫を生んだ1998年-デビュー25周年

今年25周年を迎える1998年デビュー組には、国民的歌姫と呼んでも過言ではない女性シンガーが名を連ねた奇跡的な年だ。その幕開けは2月にシングル「つつみ込むように...」でデビューしたMISIAだった。全国のクラブシーンで草の根的に盛り上がりロングヒットとなり注目度が急上昇していく。そして同じ年にリリースした1stアルバム『Mother Father Brother Sister』は200万枚を超えるセールスとなり、国内における女性R&Bブームの火つけ役的存在になったのはもちろん、R&Bのメイン・ストリーム化に大いに貢献することになる。

出典元:YouTube(MISIA)

浜崎あゆみがシングル「poker face」でデビューしたのは4月。この年だけでも5枚のシングルをリリースするがセールス的には思うような結果に結び付いてはいなかった。一方で女子中高生を中心に浜崎あゆみのファッションやメイクを真似する若者たちが増え、1999年1月1日発売の1stアルバム『A Song for ××』が約145万枚を超える大ブレイクを果たす。以降は多数のヒット曲を叩き出すのはもちろん、フアッションリーダーとしてのポジションを確立させていった。

出典元:YouTube(ayu)

5月にデビューした椎名林檎は、1stアルバム『無罪モラトリアム』までのシングル3部作が彼女の立ち位置を決定付けたと言える。「幸福論」ではセーラー服姿でギターを抱えるジャケット写真が強烈な個性を放ち、MVでギターを弾く姿はロックシンガーとしての立ち位置を明確にし、2ndシングル「歌舞伎町の女王」では昭和歌謡的な世界観の中で、歌舞伎町に生きる女性の人生をドラマチックに歌い上げている。そんな2つのシングルの後にリリースされたのが「ここでキスして。」。キャッチーなタイトルはそのままサビで歌われ、多くのリスナーに刺さる曲となり40万枚を超えるヒット曲となった。そして4thシングル「本能」ではナース姿で拡声器を使って歌う姿に釘付けにさせられた。このデビュー時期の病んだ文学少女的なイメージから、東京事変などのバンド活動、そして妖艶でアダルトな女性シンガーと時代に合わせて変化していく。

出典元:YouTube(椎名林檎)

7月にはaikoがデビュー。一貫して女子視点のさまざまな恋愛ソングを歌い続け女性からの圧倒的な支持を獲得している。最初のヒット曲となった「花火」では夏の星座と花火をモチーフに叶わない恋をポップに歌い、初のオリコンシングルチャート1位になった「milk」は冬を舞台に想いを寄せる人に対しての心情を軽やかに歌っている。昨年リリースされた最新曲「果てしない二人」は、ものすごいケンカもすれば、老夫婦のように穏やかな時間を過ごす二人の関係をハッピーに届けてくれる。そう、aikoは変わらないし、いつも変わらないaikoだからこそ安心して寄り添い続けることができるのかもしれない。ちなみにaikoと椎名林檎の2人は「第5回MUSIC QUEST JAPAN FINAL」に出場し、共に優秀賞を受賞した本当に同期生。音楽の方向性は違うもののプライベートでも2人の親交は深いようだ。

出典元:YouTube(aiko)

そして12月には宇多田ヒカルが、当時のJ-POPには無かった本格的R&Bサウンドの「Automatic 」でセンセーショナルなデビューを飾る。何よりも驚いたのは彼女が15歳で作詞・作曲を手掛けていたことに加え、15歳とは到底思えない歌唱力とその表現力だった。全国のラジオ番組でパワープレイされた「Automatic」は外資系CDショップで大プッシュされ、レジには「Automatic」を持った若者たちが並んでいた光景をいまでも思い出す。「Automatic」は200万枚セールスを記録。1999年3月にリリースされた1stアルバム『First Love』は発売週で202.7万枚セールスとなり、国内での累積売上は765万枚に達している。セールス面だけではなく、作品内容の革新性から見ても『First Love』は日本のポップミュージック史の金字塔作品と言えるだろう。

出典元:YouTube(Hikaru Utada)

最近のトピックとしては、昨年末Netflixで配信されたドラマ『First Love 初恋』が大反響を巻き起こしているが、これは宇多田ヒカルの作品である「First Love」と「初恋」(2018)の2作品にインスパイアされて製作されているものだ。宇多田ヒカルの曲は形を変えながら、時間を超えて、いまなお多くの人たちに届けられている。

このほかにも周年を迎えるアーティストたちを含め、素晴らしい音楽を聴かせ続けてくれることを改めてリスペクトするとともに、今後の活躍も願っていきたい。

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